「さらばだアマサギ! だが私はいつか帰ってくる。そして、並ぶものがいない強者の頂点となってみせよう!」
200年前のあの日、カラスの体を乗っ取った黒のセイバーはそう言ってアマサギの前から姿を消した。
惑星ナベリウスの地表に突き刺さって数日後、黒のセイバーはなぜ自分はあのようなことを言ったのか疑問に思った。
誰かに問われれば、胸を張ってそれは自らの本心であると言える。だが、その本心が生まれるに至る過程に自覚がなかったのだ。
おそらくこれは自分が知性を持つ存在、すなわち人となったためなのだろう。
黒のセイバーは人とはなにかと考え始める。人を理解し、人が何を求めて生きるのかを知れば、自分が力の頂点を目指そうとしているのかを理解できると思ったからだ。
生まれたばかりの黒のセイバーは人というものをあまり知らないが、直前の使い手であるカラスの記憶は手に入れている。それが黒のセイバーにとって人を学ぶための教科書となった。
カラスが力を求めるのはひとえにアマサギを超えたいがためであった。アマサギは兄であるカラスよりも剣とテクニックに優れていた。表面上ではごく普通に振る舞っていたカラスだったが、その内面では泥のような嫉妬心が渦巻いていたのだ。その嫉妬心が黒のセイバーが放つブラックフォトンと反応し、暴走したのがあの事件の顛末であった。
黒のセイバーはカラスを理解できなかった。得体の知れない道具を頼ったところで、カラスがアマサギを超えているという証明になるないだろう。使っている武器が強かっただけにすぎないと簡単に論破されてしまう。
カラスの記憶を精査すると、どうも彼は武器に頼っては強さの照明にならないということを気づいていたように思える。ただ妹を殺せればそれで満足だと考えていたふしがあった。
この時のカラスの欲望が引き金となって自分は力を求めているのだと黒のセイバーは理解できたが、その理解がさらなる疑問を呼び起こしてしまう。なぜなら力を奮ってアマサギを殺すことはカラスにとって何の利益にもなっていないからだ。
それだけではない、カラスの記憶から学んだ「人」ととは、それが力を求めるのは、その多くが自分の悪事を行うのに必要だからだ。すなわち、人が力を求めるのは悪事を行うためなのだ。
しかし黒のセイバーはなぜ人が悪事を行うのか理解できなかった。
善行よりも悪行のほうが多くの利益を手軽に獲得できるかもしれないが、それでは誰かから恨みを買うかもしれないし、正義が罰しようとやってくるかもしれない。手痛いしっぺ返しを受けて得たものが全て台無しになっちまうリスクを考えたら、地味だが清く生きていた方が最終的には幸福になるかもしれないのに、どうして人は悪事を行う?
なぜ?
なぜ?
なぜ?
黒のセイバーは考え続けた。人が悪事を行う理由を。何のために他人を不幸にするのかを。
長年の思考の果て、黒のセイバーは一つ仮説を立てる。
人にとって他人の不幸こそが真実の幸福であると。
ヴィーラスが黒のセイバーを発見したのは仮説を立てた直後であった。
この男を利用して仮説の検証を行おう。まるで運命があつらえたかのような展開に、黒のセイバーはおもわず内心で笑みを浮かべてしまう。
ヴィーラスが黒のセイバーを手にいてから暫くの間、黒のセイバーは彼を乗っ取ろうとはせず、一歩引いて自分の使い手を観察した。
この男は一言で言うのならば暴力の徒であった。暴力をふるいだれかを踏みにじることに至上の喜びを感じていた。
ヴィーラスがスタークォーツに敵意を向けるのは、純粋に自分よりも強い剣士だからなのだが、それは自分の暴力で不幸に出来ない相手だからという意味合いが強かった。
ヴィーラスと行動をともにする「宇宙からの祝福の会」の信者たちも黒のセイバーの仮説を実証する存在であった。彼らはダーカーの力を取り込んで人を進化させることが幸福であると考えているが、実際のところはなんてことはない。邪悪な力を押し付けることが、彼らなりの人を不幸にする手法だったからに過ぎない。純粋に他者の幸福ためと考えているのならば、本人の石に関係なくキャスト化手術を受けた者達をダーカー化させるようなことはしないし、その罪をツネコという医者になすりつけたのだ。
黒のセイバーは200年前にアマサギに向かって、並ぶものがいない強者の頂点となってみせると宣言した自分自身の言動の真意をようやく理解できた。暴力の頂点を極めればそれだけ他人を不幸に貶めやすくなるからだ。
ヴィーラスという男を経て、黒のセイバーは一歩前進した。これより先は自ら行動して実践していく必要があるだろう。
●
スタークォーツと最初の対決の後、ヴィーラスは自らの後ろ盾となっている「宇宙からの祝福の会」の手引で、クレスト号に潜んでいた。クレスト号は構造上の欠陥と解体費用の不足が理由で、そのままの姿で廃棄されたアークスシップだ。「宇宙からの祝福の会」はそこを自分たちの秘密基地として利用していた。
クレスト号都市部の中心にある高層ビルの一室にヴィーラスはいた。
特にすることがなく暇を持て余していた彼はソファーの上に寝転がっている。
ふと窓の外に目を向けると、遠くで幾つもの壊れた建物が宙に浮いているのが見える。都市部全体に人工重力を掛けてしまうと船体が真っ二つに折れてしまう欠陥があるため、このビルを中心にして500メートルより外は無重力状態となっているのだ。
最初は珍しい風景とは思っていたが、3日でヴィーラスは飽きてしまって、今は特に感慨が湧いてこない。
「ヴィーラス」
心に直接語りかける声が聞こえてきた。」
ヴィーラスは舌打ちをしながらソファーから身を起こす。
「話しかけるなっていっただろ。おまえの声は俺以外に聞こえないんだから、はたから見れば頭がおかしくなったように見えるんだぞ」
「まあそう言うな。今は誰もいないではないか」
ヴィーラスは再び舌打ちをする。
「それより君に伝えることがある」
「なんだよ」
「先程の戦いで、私と君とのつながりがより強くなった。今なら更に力を与えられる」
「そいつはいい。次はスタークォーツの首をはねてやる」
ヴィーラスは邪悪な笑みを浮かべる。
黒のセイバーもまた内心でヴィーラスのような笑みを浮かべていた。もっとも、その意味は大きく異なっていたが。
「一旦、私を鞘から抜いてくれ。そうしないと新しい力を君に付与できない」
「わかった」
ヴィーラスが疑いもせずに黒のセイバーを抜き、そのおぞましいくらいに黒い刀身が露わになる。
「で、後はどうすれば良いんだ?」
「ああ、そのままでいいよ。そのまま、な」
その時、黒のセイバーの刀身から黒い触手が飛び出してヴィーラスの眉間を貫く
「がぁ! な、なにしやがる」
「君の体を貰い受ける。まずは脳内に保存されている君の人格部分を消去して代わりに私の人格を移動させる」
「ふざけるな、俺の体は俺のものだ!」
「はははは」
ヴィーラスの滑稽さに黒のセイバーは思わず笑ってしまう。
「そんなの、私の知ったことではないな。おまえだっていつも誰かを踏みにじってきたじゃないか」
黒のセイバーの触手がヴィーラスの脳を侵略していく。暴れられては面倒なのでまずは体の制御を司る部分を乗っ取る。あとは人格を司る部分となるわけだが、黒のセイバーは意図的にゆっくりと侵略していくことにした。
まずは記憶を奪う。黒のセイバーはヴィーラスの人格と記憶の連結部を切断し、記憶を自分側へと取り込んだ。これによって黒のセイバーはヴィーラスが習得したアマサギ流の技を手に入れた。
「お、俺、俺はだれだ。名前は? 今までどうやって生きてきた?」
記憶を切除されたヴィーラスは自分が何者なのかわからなくなる。
記憶の次は人格の消去だ。これはさほど難しくはない。
「あ、ああ! や、やめろ、やめてくれ。俺が、俺が消えちまう!」
自分は何者であるのかという根拠でもある記憶から切り離され、ヴィーラスは己の自我が徐々に希薄化していくのと体感していることだろう。
「さようならヴィーラス。君の体は有効に活用させてもらうよ」
「ま、待ってくれ! なんでも言うことを聞く。だ、だから俺を消さないでくれ!」
「ふふふ。嫌だね」
黒のセイバーはヴィーラスの人格を消去した。それは、さながら小さなロウソクの火を、ふっと息で吹き消すかのようであった。
一瞬、ヴィーラスが倒れそうになるが、体の主導権を手に入れた黒のセイバーが体勢を戻す。
「これが人の体というものか。剣のままであったときよりもずっと心地よい」
ヴィーラスという男は消え去った。今ここにいる男は黒のセイバーなのだ。
「それと、やはり私の仮説は間違っていなかった」
今まで心の中だけで浮かべていた邪悪な笑みを、手に入れたばかりの肉体を使って黒のセイバーは表現する。
「ヴィーラスの人格を完全に消し去ったあの瞬間に現れた、言葉で言い表せないほどの多幸感! ああ、なんて気持ちが良いのか。やはり他人の不幸こそが真実の幸福だったのだ!」
黒のセイバーは歓喜に震えた。それは自らの仮説が証明されたことではなく、ただヴィーラスという他人を不幸の谷底に突き落とせたことへの喜びであった。
「さて、せっかく自分の体を手に入れたんだ。さっそく行動するとしよう」
黒のセイバーは個室を出て、「宇宙からの祝福の会」の信者たちがたちがいる場所へと向かう。ちょうどこの時間帯ならば、経典の勉強会を行っているはずだ。
黒のセイバーは下の階にある教室へ足を運んだ。
扉を開けると信者たちが一斉に黒のセイバーを見る。
「ヴィーラス様、いかがされました?」
壇上にいる教師役の男が尋ねる。ハトミによって上層部を一掃された今、彼が最古参の信者であるため「宇宙からの祝福の会」のリーダーを務めている。
「ヴィーラスは消えた。この体に宿っている私の意識は、黒のセイバーそのものだ」
リーダーと周囲の信者たちも驚きの声を上げる。
「ヴィーラスは暴力に酔いしれる単なるチンピラに過ぎなかったが私は違う。ダーカーとブラックフォトンを愛する君たちに報いるため、私は自分ができる最善を尽くそう」
さらなる驚きにリーダーは言葉を失う。
ヴィーラスはただ暴力で誰かを叩きのすだけで満足していたが、黒のセイバーは違った。
一人ひとりを不幸にしただけでは足りない。
もっと、もっとだ! もっと多くの不幸を生み出し、そこから幸福を得たい!
それが今の黒のセイバーの望みだった。
同時にその望みは個人の力で成し遂げることは出来ないと理解していた。より多くの不幸を生み出すためにはより多くの人材が必要となる。その人材たちこそが「宇宙からの祝福の会」なのだ。
「さあ、この世界を幸福で満たすため、共に励もうではないか!」
「おお、黒のセイバー様!」
リーダーは感動し、涙を流しながらその場でひざまずいて祈りを捧げる。ほかの信者たちもそれに続いた。
人とは幸福を追い求める存在。ならば、ヴィーラスの体を奪って人となった自分もそれに倣おうと黒のセイバーは決めた。
少しでも多くの幸福を得るために、一人でも多くの他人を不幸に陥れる。そのために自分ができる最悪を尽くのだ。